「サル化する人間社会」

先月、ある新聞のコラムの中で霊長類学舎・山際寿一さんの著書『サル化する人間社会』に触れていました。
そのコラムの趣旨は、ニホンザルとゴリラを比較して人間の社会がサル化しているというものでした。
実は、20年11月のブログでチンパンジーとゴリラを比較したことがあり、現代の人間社会がサル化していることに共感できました。
そこで今回は「サル化する人間社会」というテーマでお話したいと思います。

【人間にとっての家族】
◆山際寿一さんは、人間の人間たるゆえんは「家族」だと考えていると言っています。
動物全体を見回してみると、人間のような家族をもつ種はないそうです。鳥もサルもオオカミも一見人間の家族に似たような群れを作っていることがあります。 しかし、彼らのつながりは一時的なもので、多くの場合、繁殖行動をきっかけにつがいになり、子育ての期間のみ限定的にペアになるそうです。
それに対して、人間の家族は一生涯にわたり続きます。人間の家族という集団は非常に特殊なもので、不思議な集団だといいます。

【ゴリラの社会】
◆ゴリラには、群れの仲間の中で序列を作らないという特徴があります。  ケンカをしても、誰かが勝って誰かが負けるという状態になりません。じっと見つめ合って和解します。ゴリラの社会には勝ち負けという概念がありません。こういった平和的な性質に触れて、ゴリラが人間よりもある意味で優れているいると感じることがあるそうです。
◆ゴリラは、せっかく見つけた採食場所を年少のゴリラに譲ることもあれば、レスリング遊びでは弱い相手に手加減することもあるそうです。 ゴリラには他者に対する共感能力があり、これは思いやりのようなもので、これによって優しく、配慮ある行動ができるそうです。

【サルの社会】
◆面白いことに、多くのサルはゴリラとは正反対で、まさに勝ち負けの世界をつくりだします。サル社会は純然たる序列社会で、もっとも力の強いサルを頂点にヒエラルキーを構築しています。弱い者はいつまでも弱く、強い者は常に強い。いさかいが起きれば、大勢が強い者に加勢して弱い者をやっつけてしまいます。

【人間社会】
◆では、人間社会はどちらに近いでしょうか。現代社会はどちらの部分も備えているというのが正しいでしょう。
私が見る限り、人間社会は加速的にサル社会化しているように感じられると山際さんは言います。そして、その理由を考えるとき、家族というキーワードは無視できないとも言います。
◆家族とは、人間性の根本を担う非常に重要なものですが、現代社会では家族は存在意識を薄めています。 個人主義の人々が増え、家族と言う形態が今の社会には馴染まないかのようです。
家族が失われたならば、人類の未来はどうなるのでしょうか?
家族が解消されてしまえば、人類の築き上げてきた社会の仕組みは根本から変わっていかざるを得なくなります。そして、それはあまり明るい未来とは言えないと、山際さんは言います。
人間が人間らしさを保つために必要な家族をないがしろにし、個人主義が突き進んでいけば、社会は平等性を失っていくと想像できます。それは、優劣を行動原理とするサルの社会に非常に似ています。

◆ご感想はいかがでしたか?
私は、人間社会が年々サル化しているということを強く感じていました。しかし、その理由が、人類が家族をないがしろにしているからだとは、正直思ってもいませんでした。それに、私自身は家族をないがしろにするという意識は全くありませんでした。
しかし、フランスのように同性婚やLGBTなど新しい家族の形の在り方をが世界中の国々で認められるようになれば、これからも人間が人間らしさを保つことができるのではないでしょうか。そうなれば、人間の社会はサル化するのを少しでも防げるような気がするのは楽観的すぎるでしょうか。
ただ、できることなら人間の社会もサルの社会よりもゴリラの社会に近いものであってほしいと願っています。
皆さんはどう思いますか?