「親愛なる母上様」

先日NHKラジオで、阪神淡路大震災で当時大学生だった一人息子の貴光さんを亡くした広島市の加藤りつこさんへのインタビューを聴きました。
これまでの28年間、震災の記憶と命の大切さを伝え続けてきた加藤さんを支えてきたのは、貴光さんからの1通の手紙でした。
「親愛なる母上様」と題したこの手紙はとても感動的ですが、この手紙がきっかけとなって生まれた数々の出会いも印象的でした。
そこで今回は、手紙「親愛なる母上様」の全文と特に印象的だった出会いを紹介します。

【「親愛なる母上様」】
◆この手紙は1993年に書かれていました。貴光さんが神戸大学に入学する直前です。
下宿先に貴光さんを訪ねた時、別れ際にりつこさんのコートのポケットに手紙をそっと入れてくれました。
広島出身の貴光さんは、高校生の頃から自分の生きる道は平和への貢献だと語っていたそうです。
それでは、手紙「親愛なる母上様」の全文をご紹介します。

「親愛なる母上様
貴方が命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。  これまでにほんのひと時として貴方の優しく温かく大きくそして強い愛を感じなかったことはありませんでした。  私は貴方から多くの羽を頂いてきました。  人を愛する事、自分を戒める事、人に愛されること、この20年で私の翼には立派な羽が揃って行きました。  そして今私はこの翼で大空に飛び立とうとしています。  誰よりも高く強く自在に飛べるこの翼。  これからの私の行き先は明確ではなく、とても苦しい旅をすることになるでしょう。  疲れて休むこともあり、間違った方向に行くことも多々ある事と思います。  しかし私は精一杯やってみるつもりです。  貴方のそしてみんなの期待を期待を無にしないためにも、力の続く限り飛び続けます。  こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。  住むところは遠く離れていても心は互いの元にあるのです。  決して貴方は一人ではないのですから。  それではくれぐれもお体に気を付けて  又帰る日を心待ちにしています。  最後に貴方を母にしてくださった神様に感謝の意を込めて。
翼の生えた丑より」(貴光さんは丑年生まれ)

【数々の出会いから】
◆この手紙の一部が新聞で紹介されたことがきっかけで、加藤りつこさんは多くの人たちと出会いました。そしてその後、阪神淡路大震災の記憶と命の大切さを語り続けてきました。
数々の出会いの中から特に印象的だったことをいくつかご紹介します。

《地元の中学生との交流》
◆毎年1月か2月、地元広島市の中学1年生に「人は何のために生きているのだろうか」「何のために勉強しているのだろうか」ということについて子どもたちに話しています。

《東日本大震災の被災地との交流》
◆2012年からイベント(コンサートや講演など)を開催して、東日本大震災の被災地(福島県いわき市)と交流を続けています。 そして、2016年からは何にか思い出に残るものを子どもたちに贈りたいと思うようになりました。そこで思いついたのが、世界中から広島に集まった折鶴で卒業証書を作ることでした。この卒業証書を手にした子どもたちに校長先生がそのいわれを話しているそうです。卒業する時に、子どもたちは平和について考えることでしょう。
このことは貴光さんの平和への願いが子どもたちに受け継がれていくことになりますよね。

《失意の作曲家との出会い》
◆2007年作曲の仕事のために帰国していた奥野勝利さんが、インターネットで貴光さんの手紙のことを知りました。失意の中、日本を去ろうとしていた奥野さんはこの手紙に感動して曲ができてしまったそうです。
奥野さんが作曲して歌っていたのを加藤さんの妹さんが知って、それから交流が始まりました。コンサートなども開きましたが、2022年7月に奥野さんは病気で亡くなりました。しかし、奥野さんが作曲した「親愛なる母上様」は歌になって今も生き続けています。

◆ご感想はいかがでしたか?私は教師の仕事は「子どもたちの心にタネをまくこと」だと思っていますが、親を含めて子ども取り巻く大人には「未来に向かって大きく羽ばたくための翼に羽を与える」役割があることを、この手紙を通して改めて認識できました。