「江戸のSDGsに学ぶ~Ⅰ」(3)

今回のキーワードは「庭園都市」です。
エコロジーの面から江戸の町を見てみると、江戸は“花と緑”にあふれた「庭園都市」だったといえます。

1.「エコロジー社会だった江戸の町」

(3)「庭園都市」
◆江戸の町の土地利用は、大名や旗本屋敷などの武家地がおよそ70%、寺社地が16%、町人地が14%でした。 大名の数は三百といわれ、それぞれ上・中・下屋敷に大小の庭園が設けられていたので、大名屋敷だけで江戸には千近い庭園があったと言えます。 さらに、5千といわれる旗本の大小の庭園を加えれば、江戸には武家地全体として数千におよぶ庭園が存在したと考えられます。
また八代将軍吉宗が、墨田川の堤や飛鳥山・小金井に桜の木を植えて、庶民のための花見の名所をつくったことは、江戸の町が“花と緑”にあふれた「庭園都市」となる象徴的な出来事だったと言えるかもしれません。
◆江戸の町では大名や旗本だけでなく、寺社も“花や緑”の名所づくりを競い合っていました。江戸市内に広い敷地を占めていた寺社も縁日や御開帳などの定期的な催しに加えて、季節の花や木などの名所として名を広めることにより積極的に人が集まるよう競い合っていたのです。
◆江戸の花ブームは、時代が下がるにしたがって、入谷の朝顔市などブームの担い手が庶民にまで広がっていきました。
幕末に来日したイギリス人のフォーチュンは、園芸が上流階級だけでなく長屋の庶民にも広く親しまれていて、庶民が花を育てているの見て驚いています。当時のイギリスでは、園芸を楽しむのは上流階級や裕福な市民が中心だったからです。
◆このように、江戸の町は土地利用の面からも、また大名から庶民にいたるまで園芸に親しんでいたことからも「庭園都市」といえるエコロジー社会だったのです。
つまり、江戸の町はSDGsの⑮「陸の豊かさも守ろう」もクリアしていたのです。
「庭園都市」としての江戸の町は、これからの土地の利用だけでなく、まちづくりにも大きなヒントになるのではないでしょうか。