3.11:震災俳句」

3.11東日本大震災の発生から今年は10年目。 あの時、皆さんはどこで何をなさっていましたか? 私は田町でエニアグラムの研修会に参加していました。あまりにも激しい揺れに研修会は急きょ中止になり、各自解散することになりました。その後、私は田町から徒歩で渋谷駅へ。そこから銀座線で青山一丁目→大江戸線で新宿→小田急線で町田へ。そこから先は、横浜線が動くまで町田駅そばのデニーズで待ち、帰宅したのは12日朝10時でした。まさに帰宅難民でした。 今でも新宿ルミネ横の駅の階段を上がる度に3.11の日のことを思い出します。 しかし、実際に被災された方々のことを思うと胸が痛み、当時の私の苦労など取るに足りません。
そこで今回は、震災俳句の第一人者・照井翠さんの俳句を紹介しながら、東日本大震災を振り返ってみたいと思います。

【照井翠さんと震災俳句】
◆岩手県花巻市出身の俳人。2011年釜石市の釜石高校で国語教師を務めていた時に被災。第5句集「龍宮」は震災に直面した以降の句を中心とした句集。2011年1月11日に震災から10年目に合わせて新句集「泥天使」を刊行。
今回はNHKラジオ深夜便「明日へのことば」で『俳句で残す大震災の10年』と題して照井翠さんご自身が語ってくれた震災俳句をいくつかご紹介します。

①春の雪 こんなに人が 死んだのか
◆当日の日中、ちらちら雪が降っていましたが、夜になると満天の星でした。 こんなにもたくさんの星があるなんて! 今日亡くなったたくさんの人たちが昇天なさって、その方々の魂が光り輝いているのだと思いました。本当に美しい星空でした。
②失えば 失うほどに 降る雪よ
◆三陸の沿岸はあまり雪は降らないのに、その時はこれでもかこれでもかと雪が降ってくる。私たちは大事なものをたくさん失っているのに、未来への夢や希望をも失っているのに、これでもかこれでもかと雪が降ってくる。これはいったい何なのか。 私には神様とか創造主から「あなた方を不幸のどん底に落としますが、だけど世にも美しい星空を見せてあげる」と言われたような気がしました。
➂泥の底 繭のごとくに ややと母
◆震災3日目。町は泥だらけでした。その泥の底で赤ちゃんを抱きかかえたお母さんが蚕の繭のように安らかに亡くなっていました。その様子を見ていたお年寄りが「戦争よりひどい。まるで地獄だ」とつぶやきました。
④朧夜の 泥のふうぜし 黒ピアノ
◆道の真ん中に泥まみれになった黒いグランドピアノがありました。きれいな音楽を生み出すための美しいピアノも命を失ったかと思うと苦しかったです。消防車が横たわっていたり、介護の車が電柱に寄りかかっていたりしていて、まるで特殊映画のセットのような非日常な場面が目の前にありました。
⑤万緑の 底に3年 住んでいる
◆復興がなかなか進まない。生命力旺盛な万緑の季節になっているのに、3年経っても私たちは絶望の底にいる。 「ずっと絶望していろ」と言われているようで、投げやりな気持ちと、それではいけないと思う気持ちが揺れ動いた震災から3年目の気持ちです。
⑥佇めば 誰もが墓標 春の海
◆浜で誰もが放心状態で棒立ちになって沖を見つめている。大切な人を失って、亡骸にも会えなかった方々が、本当に亡くなったのだろうかという宙ぶらりんな気持ちで棒立ちになって沖を見つめている姿が私には墓標のように見えました。
⑦会えるなら 魂にでも なりたしよ
◆もし大切な人に会えるのならば、自分自身が命を失って魂になったとしても会いたい。誰もがそれほどまでも会いたくて、生きている状況ではなくなっていました。
⑧初蛍 ようよう会いに 来てくれた
◆ホタルが飛び交う季節になりました。 私の服の袖口に止まったり、木の葉の先に止まったりしているホタルを見ていると、震災で亡くなったあの方がようやく会いに来てくれたような気がしました。
⑨卒業す 泉下にハイと 返事して
◆被災地のあちこちの学校では卒業式が行われました。 担任の先生が、亡くなった子の名前を読み上げましたが、声は聞こえません。けれど、きっと、泉下(あの世)でハイと返事をしてくれたであろうと願いを込めて名前を読み上げたことでしょう。
⑩寒昴 たれも誰かの ただひとり
◆家族で寄り添って星空を見上げている。 昴は私の好きな星(六連星むつらぼし)です。 どんな方でも誰かにとってかけがえのない存在。誰かにとって自分も大事な人なんだろうなと思いながら作った句です。

◆ほんの一部ですが、ご感想はいかがでしたか。 被災地の方々の思いがしっかりと伝わったことと思います。 最後に照井さんは次のように語っていました。
「いろんなことが忘れ去られ、いろんなことが風化していくのは仕方がないけれど、私にとって句集は石碑ならぬ紙碑です。 句集をひもといていただければ、被災地で生きてきた人々の思いや被災地の様子を読み取っていただき、伝わるものがあると思っています」
被災地の方々の思いを風化させることなく、しっかりと受け止めていきたいと改めて思いました。