「江戸の教育と寺子屋の師匠」

前回は「寺子屋と御家流」についてお話ししましたが、今回は「江戸の教育と寺子屋の師匠」というテーマについて紹介したいと思います。 それというのも、30年間教育の現場に身を置いてきた私にとって、「江戸の教育」はとても興味があり、これまでも「江戸の教育」に関する資料を読んできたからです。 そんな折、江戸連の会員である山下武彦氏の「江戸の学びに学ぶ」という文章を読みました。「江戸の教育」についてとても簡潔にまとめられていますので、その要点を皆さんにもご紹介します。

◆江戸時代は平和な時代であった。武断政治はなくなり、法や御触書等文書を介しての支配となっていった。 文書は日本全国が一つの書体「御家流」に統一された。 民衆がこの時代を生きるためには先ずその文字を学ばなければならない。また、天下泰平は国内経済の飛躍的発展をもたらし、読み書き算用を習得しなければ処世に不利益をもたらす時代になった。その必然として、さらに教育の普及が始まった。
幕藩体制はいわば地方分権であり、幕府の中央集権的役割を限定し、諸藩や民に教育の自由を認めて、お上は直接関知していない。 庶民が教育の対象となり、さらに庶民自身が教育の対象となり、さらに庶民自身が主体的に学ぶシステムを作り出したのが寺子屋である。

◆「礼儀なき子どもは読み書きを学ぶ資格なし」が師匠の鉄則であり、家庭教育が重んじられた。 先ず礼節があり、知識と知恵がそれに続くことが処世であるとされた。教育は個別対面指導が基本で、子ども一人一人の年齢、親の家業、能力にも合わせて落ちこぼれを作らない教育システムとして進められた。 師匠と子どもの師弟関係には親とて介入しない。親は師匠を選べたし、師に徳や能力がなければ淘汰される厳しさがあった。
また、子どもは地域の子として社会の中で育てられた。誰でもが子どもを叱り、躾けたが、社会はそれを当然とした。 つまり、家庭教育・地域教育・学校教育が三位一体に機能していた。

◆寺子屋教育は文字を通して「知る・学ぶ・好奇心」の豊かさを育み、江戸人を教養人に高め、出版や浮世絵など江戸文化の発展に繋がった。 また更に郷学・郷校・藩校と教育社会へと加速していった。 白虎隊を生んだ会津藩では、子どもは子ども同士の遊びの中から自然といろいろなことを学びとる。人が人として育つために遊びが欠くべからざるものと考えられていた。また、身分・階層・貧富を問わず「家」を大切にする風土では、「勘当」という緊張感を保つ知恵があり、怠惰や放蕩を許さなかった。

◆江戸の教育は、地域や身分を超えて国家規模に普及し発展し、いわば国民教育基盤が形成されていた。 明治維新において、明治政府が廃藩置県などの諸制度を打ち出した際、大きな混乱や抵抗もなしに実現した前提の一つに江戸の教育があったと言える。

◆しかし、文明開化の名のもとに西洋文化を進め、列強に対峙すべくひたすらに近代国家形成を遂行した日本は、一方で江戸がつくりあげていた独自の文化や価値観を否定し、国家権力が教育に深く介入していった。その結果、日露戦争以後、進路を誤って愚劣な大戦争にたどり着き、敗戦し、疲弊し、今なお負の遺産を拭いきれていないという事実は、江戸の学びに学んでいないともいえる。
混沌とした現代、世界との距離も近くなり、急速な変化と様々な価値観の間で揺れ動く日本に、世界に誇れる平和な時代を築いた江戸の学びから学ぶことは多い。

※ご感想はいかがでしたか? 危機的な日本の教育の現状を見るにつけ、改めて明治以降日本の教育が失ってきたものの大きさに愕然とします。まさに山下氏のおっしゃるように「江戸の教育と寺子屋の師匠」から学べることが多いのではないでしょうか。