「肩書きと“三脱の教え”」

先日、ある交流会で名刺交換をしました。その中でとても印象に残った名刺がありました。立派な肩書きはもちろんのこと、裏面には一流大学から始まって数々の輝かしい経歴が書かれてありました。80歳近くの方でしたが、この方はこれらの肩書きや経歴が通用しないところではどのような生き方をなさっていたのだろうとふと思いました。
そんな折、新聞の投稿欄に「再任用で感じた肩書きの重さ」と題した60歳の男性の声が載りました。『3月に定年退職し、4月から再任用になった。管理職から係長になり、立場の違いに戸惑うと同時に、肩書きの重さを感じている。肩書きを失うと人は少なからず卑屈になってしまうものらしい。戸惑いながらも、長年培ってきた自分の力を信じ、再任用期間が終わるまで勤めあげようと思っている』という内容でした。
退職して肩書きがなくなったとき、この男性のように感じる方が多いのではないでしょうか。

そこで、今回は「江戸の商人しぐさに学ぶおつき合いの知恵」の中から「三脱の教え」をご紹介したいと思います。
【三脱の教え】
★三脱とは、年齢・職業・地位(立場)の三つを取り外すことで、人を肩書きという先入観で決めつけるのではなく、その人の本質を見極めなさいという教えです。
江戸では、初対面の人にこの三つを聞かないのが当たり前でした。 当時はまだ、会合などの社交の場で名刺交換のような習慣はありませんでしたし、翌日会う人の情報を事前に詳しく知るということも当然できませんでした。情報が少なかった分、今よりもずっと人を見極める観察力や洞察力が必要とされていたのです。
三脱の教えは、全国各地からさまざまな身分や立場の人が集まる江戸の町で、誰もが気持ちよく商売をし、生計を立て、対等に付き合うための暗黙の心遣いであり、むやみに人のプライバシーに踏み込まないことで自分の身を守る用心の意味もあったのです。
三脱の教えが伝える「肩書きという事前情報だけで
人を判断するな」という心得は、自分の目で見た事実や感想、また経験から自分で判断した本質を重んじなさいということです。これは、私たちが江戸の人たちから受け継ぐべき大切な知恵のひとつといえるのではないでしょうか。

★一方で、今の自分に当てはめて考えてみるとどうでしょう。年齢や経歴、立場という条件を取り除いたとき、周りの人たちが自分のことをどう思うのかを見つめ直すきっかけにもなります。 名刺に書いてある社会的な好条件を取り除いて人と接したとき、必ず信用してもらえると自信を持って言えるでしょうか? 肩書きを外しても変わらない関係を日頃から築いているかどうか、自分自身に置き換えて戒めることも時には必要ではないでしょうか。

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